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仙台地方裁判所 昭和43年(ヲ)457号 決定 1969年2月06日

申立人 福島県

被申立人 郡キミ

主文

本件異議申立を却下する。

異議申立手続費用は申立人の負担とする。

理由

本件異議申立の要旨は、

被申立人は、仙台地方裁判所昭和四三年(ル)第三二四号債権差押並びに取立命令申請事件において、債務者郡信雄に対し、福島家庭裁判所相馬支部昭和二八年(家)第一八二号夫婦の協力扶助請求事件の審判調書を債務名義となし、同人が支払いを怠つている昭和三二年七月分から同四三年八月分までの扶養料請求権金四〇二、〇〇〇円を請求債権とし、同人が第三債務者たる申立人に対し有する恩給受給権を被差押債権として債権差押並びに取立命令の申請をなし、同四三年九月二五日同命令が発せられたものであるが、申立人は郡信雄に対し恩給法に基づき福島県知事裁定の普通恩給権を付与してその支給をなしているものであるところ、恩給法第一一条第三項によれば恩給受給権はこれを差押えることはできないものであり、右規定は民事訴訟法第六一八条第二項に優先するものであるから、前記債権差押並びに取立命令は不適法なものであり、右強制執行の不許の裁判を求める。

というのである。

よつて審案するに、申立人の本件異議申立理由は、恩給法第一一条第三項と民事訴訟法第六一八条第二項の互に矛盾する二つの条項の優劣につき、恩給法による恩給受給権の一般的差押禁止の規定が後法としての民事訴訟法第六一八条第二項に常に優先するから全額差押えられないというにある。そこで恩給法第一一条がその第一項において恩給受給権の譲渡を原則として禁止し、その第三項において普通恩給などについての滞納処分による場合を例外として差押を禁止している趣旨につき考えると、公務員が退職または死亡した後本人またはその遺族に対して支給される金銭給付であるところの恩給は、大正一二年に恩給法がその制定をみたころにあつては、公務員が社会的に特殊な地位にあるという観念から公務員に対する恩恵的な給付であるという観念を保有するところの功労報償的性格と、本人または遺族に対する生活保障のための給付であるという性格を併有していたことからそれを一般取引界から保護すべきものとしたと理解できるのであるが、現在にあつては恩給の基礎ともなつている俸給権についてはもはや恩恵的な給付であるとの観念は払拭され公務員の勤務内容と生活維持の要求とに正比例するものであるとの観念が確立しており、この点においてはもはや民間給与生活者との差異はほとんどうかがえないうえ、改正前の国家公務員法第一〇八条第一項によれば「恩給制度は、本人及び本人が退職又は死亡の時直接扶養する者をして、退職又は死亡の時の条件に応じて、その後において適当な生活を維持するに必要な所得を与えることを目的とするものでなければならない」とされていたことからしても、恩給は本人および遺族の生活保障的性格をもつて中心的な性格としていることを理解すべきであり、この生活保障という社会政策的目的のために一般権利者の権利を犠牲にしても恩給受給権者に現実に手交すべきであるという社会保障的政策理念に基づいて恩給受給権につき譲渡および差押を法律上禁止したものと理解することができる。したがつてこの意味で一般的な債務者保護規定たる民事訴訟法第六一八条に対する特別法規として恩給法の前記差押禁止規定が原則として優先するものということができるのであるが他方において恩給は現実に支給される金額において退職または死亡後の公務員本人またはその遺族の生活維持にかならずしも見合つていないこと、恩給法上も支給金額につき物価の変動に呼応して増額する等の保障はなく固定的であること、そして恩給が最低限度の生活を維持することができない者に限定して支給されるものでもないこと等の事実を合せ考えてみると民事訴訟法第六一八条第一項第五号に記載されている他のものと、その社会保障的性格において大きな差異の見出しがたいことも認めることができるのであつて、かかる意味合において、民事訴訟法第六一八条の再度にわたる改正(昭和二三年法律第一四九号および昭和二四年法律第一一五号)が貨幣価値の変動等の社会経済情勢の変化に即応して債権者、債務者間の利害の調整をはかつた主として技術的改正にとどまるものにすぎず恩給受給権の一部差押を恩給法の前記規定に全面的に優先して認める趣旨まで含んでいたと即断することはできないといいうるとしても、なお「恩給」を削除しなかつたことについての一応の理解をすることができるといいうるのであり、また右に述べた社会保障的政策理念をその念頭に強調することによつてのみ恩給法第一一条が恩給受給権の譲渡および差押を禁止した趣旨を理解することができるとしても、かならずしもすべての場合にその合理性を保持できるとはいいえないということができるのである。

ところで本件記録によれば、被申立人が仙台地方裁判所昭和四三年(ル)第三二四号債権差押並びに取立命令申請事件において債務者郡信雄に対し有する債務名義は、福島家庭裁判所相馬支部昭和二八年(家)第一八二号夫婦間の協力扶助請求事件の審判調書であつて、それによれば郡信雄は妻である被申立人と別居し同人に対し扶養料として昭和二八年一月一日から毎月末日かぎり金三、〇〇〇円の支払義務があり、被申立人の前記申請事件における請求債権額は同三二年七月分から同四三年八月分までの右扶養料の合計金四〇二、〇〇〇円である。

このように法律上の夫婦がその夫婦関係が事実上破綻をきたしたことにより家庭裁判所の審判手続を経て互に別居することとし同時に一方(多くの場合妻であろう)から他方(多くの場合夫であろう)に対する扶養請求権の確定をみた場合であつて、一方がその扶養請求権の履行を求めて、他方の有する恩給受給権の差押をなしてきた場合(多くの場合恩給受給権が債務者の唯一の財産であることが多いであろう。前記申請事件においても本件記録によれば債務者郡信雄は恩給受給権が唯一の財産であつたとうかがうことができる。)恩給法第一一条第三項に反するとしてその差押を禁止することは合理的であるとはいいえないというべきである。すなわち通常の場合正常な家庭生活環境にある公務員の退職後の生活はその家族との生活と切り離しては考えることができないのであつて、公務員の受給した恩給はその家族との生活の維持のための所得となるということができるのであり、このようにいうことは前掲改正前の国家公務員法第一〇八条第一項の正当な理解と、恩給法が公務員の死亡後その遺族の生活保持を目的として恩給を支給するべく規定していることからも充分首肯しうるというべきであるからいつたん夫婦関係が破綻したからといつて直ちに公務員本人の生活維持のみを目的として、法律上の扶養請求権の確定している配偶者を一般債権者と同視することは合理性を欠くといわざるをえないからである。そもそも配偶者たる妻は恩給法第七三条第一項によれば夫たる公務員の死亡後は第一順位者として扶助料の支給を受けうるものであつて、このことは退職後の夫たる公務員の受ける恩給についても実質的関係においては妻自らの「恩給を受くるの権利」ともいうべき一定割合部分が潜在的に考慮されていると考えることができないわけではないのであつて、このように妻が法律上の扶養請求権に基づいて夫たる公務員の恩給受給権の差押を求めたような場合は一般債権者がそれを求めてきた場合と異なり、恩給を公務員本人に対しあくまで現実に手交しなければならないとする恩給法第一一条の前記理念がつらぬかれなければならない必然性と合理性はもはや存していないというべきなのである。

いいかえれば、そのような場合妻が実質的関係において夫たる公務員の恩給につき自らの「恩給を受くるの権利」ともいうべき部分についての割合につき差押を求めてきた場合であるともいいえないわけではないとするならば、差押を許したからといつて、夫の生活保障を奪うということにはならないともいえるのである。

そうとすれば、そのような場合は恩給法第一一条第三項の差押禁止の原則の適用のない場合というべく、恩給受給権の差押は許るされると解すべきである。そしてその差押うる限度については前述のとおり恩給の生活保障的性格に鑑み夫たる公務員本人と妻との生活保障の各要求の調和を考慮して民事訴訟法第六一八条第一項第五号の「職務上ノ収入」に準じるべきであるから、同条第二項の限度において差押が許るされると解するのが相当である(ちなみに本件記録によれば、前記申請事件における債権差押並びに取立命令は債務者郡信雄が第三債務者たる申立人から支払いを受ける恩給の年四回の各支払期における金員の各四分の一宛につき発せられていることが認められる。従つて右は民事訴訟法第六一八条第二項の限度内と解されるので結局相当であつたと思料される。)。

しかして、前記申請事件における債務者郡信雄の有する恩給受給権に対する差押命令は以上説示したところにより許るされるべきものであつたというべきであるから(取立命令部分についてもしたがつて同様である。)、申立人の本件異議申立は何ら理由がなく、右事件における当裁判所のなした差押並びに取立命令には何ら違法はない。

よつて申立人の本件異議申立はこれを却下することとし、異議申立手続費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 小川克介)

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